状況は違っても、自分に重なる部分を見つけると、なぜか人はそれに対して、冷静に見つめて分析する力を持っている。
そして、その解を自分に応用しようとする。
例えば、人間関係のいざこざ、自分が渦中でなければ、どちらの言い分も冷静に聞く耳を持てる。
例えば、事件や事故。当事者でなければ、遭遇した時についてどう対処するか備えについて見直したり、遭遇した人の心中に触れ、思いをはせたりする。
有事がなくてもそれを体験することができる。
小説、映画、ドキュメンタリー、絵本・・・
自分がどこに感動するのか、怒りを感じるのか、反対意見を持つのか、蔑むのか、心の動きに注目することができる。初見では、そこには至らない。
二度三度、同じ作品に触れること、
次は、全く違う作品を見てみること、
そして、自分の心の動きの方向性を見直してみよう。
そうすると、自分の感受性がわかる。
感受性を踏まえてポラリティについて考える。
「であること」と、「でないこと」について。
自死についてのドキュメンタリーから学ぶことがあった。
「死にたい」は、
「生きられない」であること。
同じではないのだ。似たニュアンスを持ちながらも、全違う方向性であることを知らなければならない。
それがホメオパシーを学ぶこと。