By jewelme

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alt=自然と調和する健康的な女性

健康とは何か?

健康とは何か。

多くの方がここにお金と時間を費やし、事あるごとに向き合わなければならない時があります。

たくさんの情報もあふれていますが、それは「健康」の本当の意味を理解しないまま、提供する側の「やり方」が主流となっています。

「健康」とは、自分の力が自然にみなぎり、タイミングよく適応できるようになることです。

これはどういう状態のことなのか深く探ってみましょう。

ギリシャ語で「全体性」を意味する「holos(Ωροσ)」を語源としています。
そこから派生した言葉には、health(健康)があり、他にはwhole(全体)、heal(癒す)、holy(聖なる)…などあります。

この「全体性」は「全部そろった」という意味を持ち、より「万物と調和する」につながります。

ホリスティック医療も、この「holos(Ωροσ)」を根幹とした医療を指します。
統合医療と混同される方がいますが、大きく違います。

健康な状態とは?

具体的に健康とはどういう状態でしょうか?

これはシンプルに、

あるべき状態に、あるべき形で、柔軟に対応できる
必要なことを必要な時に考え、必要ないことは必要ないから考えない

これが健康です。

する必要がなくなったら手放す

イメージできますか?

あるべき状態に、あるべき形で、柔軟に対応できる

いくつか例を挙げてみましょう。

  • 寒いところにいた。風邪をひいた。すぐに温かいお風呂に入って早めに寝た。風邪が治った。
  • 事故を見た。とても怖くて心臓がドキドキした。しばらくするとそれは治った。事故のことも思い出さなくなった。
  • 悲しい出来事があった。何日も泣いたが、そのうちに記憶が薄くなり泣かなくなった。

似たようなことは、もっと他にも考えられますね。
こういうことは健全な反応です。

健全な反応=健康?

健全な反応をしているから健康なのか?

時として、頻繁に繰り返される、または連続して起きることがあります。また、健全であるはずの反応が、必要のない時でも反応を続け、元に戻らない場合もあります。

これはどういうことでしょうか?
次のセクションに移って考えてみましょう。

健康と病気の元は一緒!

健康と病気の元は一緒!
と聞いて、そんなバカなはずはないと思う方もいらっしゃるでしょう。

最初に健康の語源についてお話しました。
おさらいしますね。

健康の語源は、この「全体性」は「全部そろった」という意味を持ち、より「万物と調和する」につながります。

ここをなんとなく読んではいけません。
「万物と調和する」ということに注目してみてください。

存在しているものは、全てがどこかで繋がっています。

少しわかりにくいかもしれないので、例を見てみましょう。

alt=白くてフワフワしたプードル
alt=2歳位の小さな女の子

小さいころにプードルに噛まれてしまいました。
母親は、この子が犬嫌いになってしまうのではないかと思い心配しましたが、大きくなって犬と遊ぶ様子を見て、そんなことはなかったことに母親は安堵しました。
しかし、ウサギを見ると泣きだしてしまい、ウサギ小屋の近くを通るとひどく咳き込むようにもなりました。
セーターも苦手です。言いようのない不安に襲われるので着ようとしません。

ウサギ小屋やセーターは、この子にとっては小さなきっかけに過ぎません。
ここで気が付いていただきたいことは、この子が「何かに」「過剰に」反応しているということです。

現代では医学的な解明が進んだことにより、「毛のアレルギー」だというラベルを貼られます。
そして、喘息の薬が出されるようになります。
そして、毛のものは避けるようにと指示されます。

しかし、この子の反応はもっと別なことが原因です。
原因を治療しなければ、この子は薬を漫然と使い続けることになります。

小さい時に、犬に噛まれたことはとてもびっくりしたことだし、大そう怖かったことでしょう。
けれど、この子は「びっくりした、怖かった」ことを「犬」として認識しなかったのです。ですから大きくなっても犬と遊ぶことができました。

では、この子の中にどういうことが起きていたのでしょうか。
この子が犬に噛まれた時はとても幼かったので、「犬」ではなく、「白くてフワフワしたもの」と認識されていたのです。

ですから、
「何かに」→「白くてフワフワしたもの」
「過剰に」→「喘息が出る、不安になる」

という反応をしたわけで、この子にとっては危険を回避するための、正当かつ適切で、健全な反応を取りました。

私達が気が付かないだけで、この子の中では全てがつじつまの合うように、反応が流れています。

健全な反応が病気を生み出す

上記の例のように、因果関係が単純化できないことが多くあります。ですので、健康意識が高い人こそ、以下のことをしっかりわきまえなければなりません。

現代において病気とは、
自分の認識の不確かさ(自分が真実だと思い込んでいること)や、その類似のパターンによって引き起こされたによる防衛反応・過剰反応のことを言います。

この、
自分の認識の不確かさ(自分が真実だと思い込んでいる)は、科学的にも証明されています。

それが、カニッツアの三角形と言われるものです。

人は目で物を見ているのではなく、見えた情報を脳で処理して、過去の経験や学習から最適だと判断した像を映します。

そこにある花が、ただの花なのか、チューリップなのか…ということです。

これは聴覚でもあります。
耳はあくまでも聞くための道具であって、聞きたい音やそれを妨害する音が混在する日々の中で、安定して効率よく音を聞き取るために、脳で膨大な情報処理が行われます。
雑踏の中で自分の名前が呼ばれたら気が付くように、聞く能力も過去の経験や学習から最適なものを選ぶ傾向にあります。

そして面白いことに、耳を通して聞こえる音は他の五感の影響を受けることがあります。

面白い動画が紹介されていました。
Should you believe your ears and the things they hear?

病気は想像から始まる

alt=想像する人

私達が普段見ているもの、聞いていることは過去の経験の上に成り立っていることが良くお分かりになったでしょう。

そして、足りない部分は「想像」で埋めます。

「想像」とは、日本語の諺でも「取らぬ狸の皮算用」で知られるように、ある事実から私達は無意識に次から次へと勝手なストーリーを生み出しています。

私の経験で言えば、
中学生の時、近視のあまり、暗い夜道に止まっていたバイクが、おばあさんが行き倒れたように見え、何もできずに、そこを通るのが怖くてしばらく動けなかったことがあります。

これは、私が事実を事実として正確に見ることができなかったことから引き起こされた、頭の中のストーリーで勝手に恐ろしく思っただけでした。

このことが、頻繁にひき起こされたり固定化されてしまうと、私は相当悩まされることになり、日常生活に支障が出るかもしれません。

こうなることを「病気」と呼んでいます。

想像の性質

想像する力は人間に与えられた特権です。性質的には、膨らむ方向性があります。

自分の「気」が下がっている時には、ドンドン悪い方に膨らみます。

一度
そう見えてしまったら…、
認識されてしまったら…、
考えてしまったら…、

もうそうにしか見えません!

先に例を出した小さな子が「白くてフワフワしたもの」を「恐ろしいもの」と思い込んでしまったように。

そのくらい私達の想像力というのは素晴らしくもあり、注意を払う必要があります。

これは、幻覚や幻聴といった精神疾患に限らず、想像から身構えることによって、その人の弱い部分、出しやすい部分から違和感を発信します。

まとめ

健康と病気はどこか対立的な概念のように思われていますが、アレルギーや慢性疾患など、どんな病気ももともとは健全な反応から始まっています。

自分の中にある「気」が落ちている時は、
干からびたところに容易に情報が刺さり不安にさらされやすくなります。そして、あることないことを考えはじめます。

「気」がみなぎっていれば、
自然な形で必要なことを必要な時に考え、必要でないことは必要ないから考えない
ということができるようになります。

これまでのお話は一見なんでもないようですが、環境や成育歴なども相まって(固定観念)複雑になっています。

ホメオパシーでは、その方が見ている世界を、紡がれる言葉や仕草などからキャッチし、常に「Holos」を念頭に置いて考えます。